1. 福島原発事故に伴う被災家畜における放射性物質の体内分布(会員ページ )
東北大学加齢医学研究所・被災動物線量 評価グループ教授 福本 学
福島第一原発事故によって環境に放出された放射性物質によって、周辺住民の被ばく線量がどれほどになるのかを推定することは容易なことではない。様々な要因を考慮して計算し、推測していくしかないわけであるが、それを支える重要なデータは、現場から得られる実測値である。特に、環境が放射性物質で汚染された状況下における内部被ばくの実測値は、放射線の人体影響を知る上で非常に重要な情報を提供することになろう。演者の福本教授は、内部被ばくの実測データを得ることの重要性を早くから見抜いて、福島第一原発事故後、大胆に、しかも迅速に被災家畜の内部被ばく調査に携わる研究者の全国的ネットワークを構築された。講演では淡々と紹介されたが、おそらく調査費の獲得や材料採取の調整等に大きな難題を抱えての調査開始であったろうと想像される。福本先生が動いたからこそ可能になった調査研究であり、事故から学ぶことの重要性を自ら示された貴重な事業である。
図1 参加研究施設
この福島第一原発事故被災動物アーカイブの構築事業は、福本教授が中心となり、全国13の研究施設(図1)が参加して、検体採取からデータ化までをそれぞれが担当した。本事業で実際に行ったことは、警戒区域内で殺処分された家畜についての臓器別放射性物質の同定と濃度計測である。平成23年11月までに採取した家畜牛は、雌成牛63頭、胎児3頭、雄雌仔牛13頭の合計79
頭であった。末梢血及び臓器の放射能濃度について、γ線スペクトロメータを用いて測定した結果、いずれかの試料でセシウム134、セシウム137、銀110m、及びテルル129mが検出された。また、各臓器のセシウム137放射能濃度と血中セシウム137放射能濃度はよく相関しており、血中セシウム137放射能濃度を計測することによって、各臓器別のセシウム137放射能濃度を推定することが可能であった。セシウム137濃度は、異なる部位の骨格筋間では有意差はなく、血中セシウム137濃度の21.3倍であった。また、畜舎内に留まっていた牛の各臓器別放射能濃度が低かったのに対し、屋外に放たれていた牛のそれは高い傾向を示した。
胎児への放射性物質の移行に関しても興味深い結果が得られた。3頭の妊娠牛について親と胎児の臓器別放射能濃度の比較を行ったところ、セシウム137濃度は、臓器にかかわらず胎児では母親の1.2倍高いことが分かった。しかしながら、銀110m、及びテルル129mは、胎児では検出されなかった。さらに、3組の母牛と仔牛について調べたところ、セシウム137濃度は、仔牛の方が母牛よりも1.5倍高いことが分かった。このことは、小児に関する放射性物質の内部被ばくについて、より一層の注意が必要であることを示唆している。
さらに、この調査によって、肝臓が銀110m集積の第一義的な標的臓器であること、また、腎臓においてテルル129mが特異的に濃縮されることも明らかになった。
さて、この事業では、平成24年10月末日現在で、牛217頭、豚57頭、及び猪豚3頭からの採取を行っている。今後、さらにヒトに近い猿、あるいはアカネズミなどの小動物へも調査対象を広げて放射性物質による内部被ばくに係る動物臓器のアーカイブ構築を目指していく予定であることが紹介された。このアーカイブは、非常に貴重な情報源であり、今後の積極的な活用と維持が強く望まれる。
2. 低線量放射線の生体への影響と食の重要性:科学者として支援できることは何か(会員ページ )
ルイ・パスツトウール医学研究センター基礎研究部インターフェロン・生体防御研究室室長 宇野賀津子
福島第一原発事故に端を発した低線量放射線の人体影響に関する話題は、瞬く間に国民的関心ごとになった。しかし、様々なニュースソースから発信される情報は、千差万別ゆえに混乱を極め、国民の放射線に対する不安感を拡大させてしまったように思う。これは、放射線に関わってきた関係者にとっては苦々しい経験である。いわゆる放射線に関するリスクコミュニケーションが上手くできなかったという思いが残る。そんな中で、演者の宇野先生は、事故直後から情報発信チームを立ち上げ、低線量放射線の生体影響について、独自の視点から一般市民にも分かりやすく情報発信してきたとのことである。
宇野先生の放射線の生体影響を語る視点で目を惹くのは、低線量放射線による発がんは、放射線によって直接誘発されるDNA損傷だけで決定づけられるものではなく、生体が持つがん化を抑制する何段階もの防御システムが鍵を握ることに重きを置いている点である。それゆえに、発がんを左右するのは最初の遺伝子損傷よりも、その後のライフスタイルであり、特に発がん抑制の最後の砦となる免疫機能を保持するための食事やストレスを減らす生活の大切さを掲げている。このような地道な情報発信が評価され、演者は、学術振興会が組織したチームの一員として福島県での地域住民の学習会に講師として参加し、住民の不安解消に役割を果たした。そこで伝えたことは、放射線による遺伝子損傷生成に活性酸素が関わること、それゆえに抗酸化食(図2)が重要であり、免疫機能を保持してストレスをためずに前向きに生きることが低線量放射線の影響低減に効果的であるという考え方である。実際に、例えば大きな精神的なストレスが生体の免疫力を低下させる実例を演者自らの経験から示し、それゆえに
図2 がんを抑制する抗酸化食品の例
日々の生活中で精神的なストレス軽減により放射線障害を克服可能性について言及した。
放射線発がんの頻度が、例えば被ばく後の食事のカロリー制限によって有意に低下することは、マウスを用いた動物実験でも明らかにされている。宇野先生が主張されるライフスタイルによる放射線障害の克服という考え方は、科学的な実証をさらに積み重ね、そのメカニズムにまで迫る研究が今後益々期待されるところである。
3. 震災を踏まえた中長期エネルギー需要構造のあり方と原子力の役割(会員ページ )
(財)エネルギー総合工学研究所プロジェクト
試験研究部主任研究員 都筑和康
福島第一原発事故を経験して、日本のエネルギー政策は大きな転換点を迎えた。今後のエネルギー構成のあり方をめぐる国民的議論を踏まえて、当時の民主党政権は、原子力に依存しない社会を目指すことを前提としたエネルギー戦略の構想を示した。このような状況から、都筑氏による今後の日本のエネルギー政策のあり方と原子力発電の果たす役割に関する講演は、非常に興味深いものであった。
最初の話題は、日本のエネルギーの特徴と課題である。我が国のエネルギー需給構造には、以下の3つの特徴がある。
@産業立国であり、エネルギー供給不足は国の根幹に関わる。
Aエネルギー資源(化石燃料)を海外に強く依存している。
B島国なので、他国との電力融通がない。
これらのエネルギー環境を十分に考慮して議論を進める必要がある。さて、我が国のエネルギー政策は、これまでエネルギーの安定供給(Energy Security)、経済性(Economic Efficiency)、環境保全(Environmental Protection)の3Eが重視されてきた。その中で原子力は、この3Eを同時に実現する重要な電源と認識されてきた。事故後、この原子力は国民の信頼を失い、エネルギー政策は原子力発電の比率を下げる方向で見直しを迫られている。しかし、その政策がベストな選択かどうかは、もう一度よく吟味する必要があると演者は説明する。これまでのエネルギー政策の議論では、論点がかみ合わず、建設的な議論がそれ以上進まないのが現状であった。そこで演者は、まずエネルギー政策に関わる論点を時間軸に着目して整理してみた(図3)。
図3 時間軸に沿った論点整理
まず、直近のエネルギー政策についてはどうか。最大の論点は、原子力発電所を再起動するかどうかである。原子力発電所を停止させて、火力発電所を運転して補う場合、燃料費負担は純増となる。また、停電リスクも高くなる。電気料金も値上げされ、結果として産業競争力は低下し、国民所得や雇用にも影響がでる。結局、直近の問題は以上の経済負担を評価した上で、原子力リスクと比較し、どちらがリスクが大きいかを判断することになるだろう。使用済み燃料問題は、増加見込み量が大きくないことから、再起動に関わる政策判断に影響を与える要因にはならないと考える。
次に、中期的エネルギー政策についてはどうか。2030年にむけて、今後、原子力発電所、及び火力発電所ともに老朽化していく。加えて、再生可能エネルギーが主役になる可能性は低いと予想される。電力消費量が激減する可能性も低い。以上のような想定をもとに、2030年頃の判断は以下のようになると予想される。
@再生可能エネルギーや省エネ技術の普及は可能な限り推進する。
A火力、または原子力発電所を新増設する必要がある。どちらにも一長一短があるので、その判断は周辺の環境に依存する。
最後に、長期的な(2050年以降)対応はどうか。この場合には、将来にわたって日本の目指すべきエネルギー構成をどう考えるのかという大きな問いから始める必要がある。エネルギー需要に関する技術的・社会的不確定性が非常に大きいために、これらを総合的に考慮したシナリオ設定をしなければならない。そこで重要な点をあげると、
@実現性ある技術に基づいて需要構造を具体的に描き、そのメリット・デメリットを整理する。
A複数のシナリオ分岐に対応できるように基盤となる技術に投資をしておく。
ということになる。
さて次に、2050年頃のエネルギー構成に関する定量分析の考え方と手法について紹介する。基本的な考え方は、1)現実性のある想定を用いることと、2)化石燃料の使用量やCO2排出量、一次エネルギー構成などについて、具体的な数値を算出して比較検討することである。分析すべき項目は、1)2050年にはどの程度エネルギーを使っているのかという社会想定、2)再生可能エネルギーや原子力発電の技術動向の見通し、3)エネルギーに係るリスクの整理となる。社会想定に関しては、非常に不確定性が大きいと言わざるを得ない。再生可能性エネルギーの技術動向については、太陽光発電の例をとると、蓄電池の活用が必須となり、その蓄電量を上手く管理することが重要となる。再生可能エネルギーは主力にはなり得ないが、比率を高くする検討の価値はあると言えるだろう。リスクに関しては以下の点が不確定であり、不透明である。例えば、1)化石燃料入手の安定性、2)CO2排出の制約、3)エネルギー需要の程度、4)再生可能エネルギーが基幹電力になり得るか等の点である。
これらを踏まえての当面の施策案として考えられるのは以下の通りである。
@再生可能エネルギー、及び省エネルギーの技術開発を推進する。
A中長期エネルギー環境を考えると、原子力技術基盤を維持涵養することが重要である。
B短中期的原子力政策は、原子力に係るリスクと化石燃料に係るリスクとのバランスで判断する必要がある。
演者の最後のまとめは、今後の我が国のエネルギー政策を考える上で非常に示唆に富んだものであり、関係者は重く受け止める必要があるだろう。
(児玉 記)
4.[ONSA賞受賞講演]
レーザープラズマ軟X線顕微鏡による細胞内小器官のその場観察(会員ページ )
日本原子力研究開発機構関西光科学研究所 量子ビーム技術研究ユニット 加道 雅孝
生命の起源を明らかにすることは、人類の自然科学における究極の目的の1つであるが、そのためには、生命の最小単位である細胞機能の解明が重要である。本講演では、高い解像度を持ち、しかも細胞を生きたまま「その場」観察する手法であるレーザープラズマ軟X線顕微鏡の開発と、それを用いた各種細胞観察のいくつかの例について述べられた。なお、本講演は平成24年度のONSA賞受賞講演である。
講演では、まず生命科学研究の歴史に続き、生命研究のための従来のツールとして従来用いられてきた光学顕微鏡、電子顕微鏡と比較した場合の軟X線顕微鏡の優位性について説明があった。この顕微鏡は、高輝度レーザーを金属表面に当てたときに発生する高密度プラズマから放射される軟X線を光源として用いる顕微鏡である(図4)。光学顕微鏡に比べ分解能が高い、電子顕微鏡と異なり、生きたままの状態で観測できるという特徴
図4 レーザープラズマ軟X線源を用いた密着型軟X線顕微鏡の原理
があるが、軟X線顕微鏡の特徴を一言で表すのが「水の窓」である。ここで用いるX線の波長は、ちょうど炭素のK吸収端(4.4nm)と酸素のK吸収端(2.3nm)の間にあり、細胞が水につかった状態でも、X線は水にほとんど吸収されることなく、主に炭素からできている細胞の像が高いコントラストで得られるのである。(講演後、座長をつとめていた筆者は、金薄膜の保持に用いる窒化シリコンの窒素が水の窓に影響を及ぼさないか、と質問したが、実際上、ほとんど影響はないということであった)。軟X線顕微鏡の開発は1950年代から行われてきたが、軟X線の輝度が不足するため、細胞の像をとるためには数分という長い時間が必要であった。しかし、長時間にわたる撮像の間に細胞は運動し、解像度が低下したり、長時間のX線照射による細胞への放射線影響が避けられないなどの大問題があった。そこで、JAEAの保有する高強度・高品質レーザー照射によって生成した高輝度短パルスX線源を用いることによって、これらの問題は解決された。すなわち、数ナノ秒という瞬時露光によって生きた細胞の触手構造を明瞭に観察できたのである。この点において、座長である筆者は、「同じ解像度を得るのは、X線の輝度が低くても高くても、同じフォトン数が必要なはずであり、瞬時露光でも細胞に対する放射線影響は無視できないのではないか?」と質問した。それに対する答えは、「確かに細胞は露光の後死ぬが、生きているうちに撮像を行うのである」というものであった。これをうまく使えば、細胞へのX線の放射線影響を「その場」観察する手段としても軟X線顕微鏡は使えるのではないかと筆者は感じた。さて、軟X線顕微鏡を細胞観察に活用するためには、細胞の像を撮るだけでなく、それは細胞内小器官の何に対応するかを明らかにすることが重要となる。そこで、細胞内小器官の構造を、高い空間分解能で観察できる軟X線顕微鏡と、蛍光試薬を用いて細胞内小器官の位置情報を正確に特定できる蛍光顕微鏡を組み合わせることによる「ハイブリッド顕微法」を開発した。図5にミトコンドリアを選択的に標識可能なマイトトラッカーにより染色し、蛍光顕微鏡との併用で撮像した精巣ライディッヒ細胞の軟X線顕微鏡像を示す。蛍光顕微鏡を併用したハイブリッド顕微法により、これまでに明らかにされてこなかったミトコンドリアと細胞骨格を正確に特定できたのである。
図5 精巣ライディッヒ細胞の軟X線顕微鏡像の拡大像
講演のまとめとして、軟X線顕微鏡は、細胞の免疫機能発現、細胞内情報変換機構、タンパク質合成など、広く生命現象を細胞レベルで理解する研究に役立つことが期待できることを述べ、生命の起源の解明に迫る多くの知見が軟X線顕微鏡によってもたらされるであろうとしめくくって講演を終えられた。
5. X線自由電子レーザーSACLAが拓くフォトン サイエンス(会員ページ )
理化学研究所播磨研究所XFEL研究開発部門
グループディレクター 矢橋 牧名
本講演は、2006年度から5年間にわたり国家基幹技術として建設が行われ、2012年3月から供用運転を開始した高輝度コヒーレント光源SACLAの、この1年間の運転状況と利用研究のトピックスを紹介するものである。
講演では、まずはじめに、「レーザー超入門」と称して、光というものは電子が運動することによって発生することや、ランプなどのそれぞれの電子が「勝手に光を出す」カオス光源と比べて、電子が「そろって光を出す」コヒーレント光源の特徴が述べられた。コヒーレント光源、すなわちレーザーには、紫外から可視光、赤外領域にかけてエキシマレーザー、YAGレーザー、炭酸ガスレーザーなどが利用されている。一方、自己増幅型(self
amplified spontaneous emission, SASE)自由電子レーザーは、非線形媒質、光共振器は不要で、テラヘルツ域からX線域まで、すべての波長域で動作するが、短波長領域(X線領域)での活用が特に有効である(図6)。
図6 レーザーの波長領域
X線自由電子レーザー(XFEL)は、米国のLCLS(Linac Coherent Light Source、2009年から稼働), ドイツのEuropean
XFEL(2015年稼働予定)があるが、いずれも大変スケールの大きな施設である。また、需要に対して十分なビームタイムが提供できないなどの問題がある。これに対し、日本のXFELプロジェクトの指針は、装置をできるだけコンパクトにして低コストと高性能の両立を図り、XFELを多くの人の手に届くものに、というものであった。この指針に基づき、電子ビームエネルギーを抑制することでサイズを提言し、高勾配で一気に加速することにより、さらにサイズの低減に成功した。次にSACLAの全体システムの説明があり、国産化率は9割以上ということであった。SACLAの建設は2006年に始まり、2020年から調整運転、2011年6月にレーザー増幅を確認、テスト運転の後、2012年3月から供用運転が開始された。
図7 SACLA実験棟の外観
次に、SACLAが拓くサイエンスと題して、どのような利用研究が行われているかの紹介があった。図7はSACLA実験棟を示している。SACLAの利用としては、大きく分けて2つあり、1つは「みえなかったものをみる」、もう1つは「つくれなかったものをつくる」である。化学反応やデバイス動作原理など、フェムト秒オーダーの早い動き、細胞、微結晶など微小サイズ体の構造、厚い試料の観察、など、今まで観察することのできなかったものを観ることが可能となる。また、強いX線の場において原子分子がどのような不思議なふるまいをするかということや、それを利用した材料のX線ナノ加工といった応用が考えられる。さらに面白い利用として、SACLAとSPring-8を同時に使い、まず、SACLAからの「鋭いX線」により一瞬の動きを「凍結」して見るとともに、SPring-8からの「マイルドなX線」で、動きの変化を追尾すること、SACLA加速器の鋭い電子ビームをSPring-8に打ち込み性能を向上させる方法などが紹介された。SACLAにおける技術は日々進化しており、ビームをさらに小さく絞りこむ技術、専用のCCDカメラを開発することにより、1秒間に60枚の写真を撮り続ける技術などが述べられた。またデータ解析に関しても、たとえばX線高速CCDカメラのデータを、オンサイトデータ処理した後、スーパーコンピュータ「京」で解析する技術が紹介された。
講演の最後に当たり、SACLA実験の主力は20-30代の若手研究者であること、外国からのトップレベルの研究者も大勢研究に参加していること、国内(播磨)にいながら世界一流の研究環境を体験できることなどが述べられた。これからますます発展していくXFELによる研究の勢いを感じさせる講演であった。 (岩瀬 記)
6. 電子線照射装置の利用分野(会員ページ )
株式会社NHVコーポレーション加速器事業部
技術部システムグループ主任 金澤保志
同社は我が国の工業用電子線照射装置のトップメーカーである。装置の製造のみならず、試験照射や委託照射も受注しており、国内に三か所の委託照射拠点をはじめ米国、中国など国外にも展開している。今回は電子線照射がどのような分野で如何に応用されているかを、その原理と併せて実際の例を引きながらご講演いただいた。
最初に簡単にご自身の会社の紹介をされてから本題に入った。まず、電子線照射の仕組みを概説した。筆者にも経験があるが、テレビがブラウン管だった時代には、一般の方に電子線照射装置の原理を理解してもらうためには、家庭にあるテレビを例にとって説明しやすかった。最近は液晶テレビが普通になって、ブラウン管を知らない人が増えてきたので少々難しくなった。金澤講師もブラウン管とのアナロジーで説明したが、今後は新しい工夫が必要となろう。実際の電子線照射装置には図8に示すようにブラウン管と同じ仕組みの電子ビームの照射方向を走査するスキャン型と多数のフィラメントを並列に配置して一定の面積に同時に電子線を照射出来るエリア型があり、目的・用途によって使い分けられる。スキャン型は一般に300kVから5,000kV程度の高電圧照射装置に用いられ、主として厚物を対象としている。一方、エリア型は絶縁上の課題から高電圧は
図8 電子線照射装置の原理図(左:非走査型、 右:走査型)
困難で、300kV程度までで薄物を被照射対象物としている。同社は何れのタイプの電子線照射装置を製造販売している。
電子線照射による加工の特徴として、@エネルギーを直接注入するため、エネルギー利用効率を高められる、A指向性を高く出来るので、吸収線量率を高く出来る、B常温使用が一般的である、C触媒不要で反応が可能である、D電源のON/OFF制御のみで反応制御が可能であるなどの優れた性質を有する。また、電子の加速電圧が高い程、材料の深い領域まで反応が可能であり、電子の線量が大きい程反応量を大きくすることが可能であり、用途に対応して選択すれば良い。ある素材に対して電子線照射することにより付与可能な様々な性質を図9に示してある。
図9 電子線照射によって素材に付与可能な性質
講演では電子線照射装置のスペックと対応させて、以下の内容について実際の写真も交えながら分かりやすく説明をした。
1.
架橋重合(橋架け);高分子材料の一部の分子結合を電子によって切断し、隣同士の高分子を再結合させ、より大きな分子量とすることにより耐熱性、耐薬品性を向上させる。
応用例:耐熱電線、熱収縮チューブ、発泡ポリオレフィン、タイヤ、生分解性材料
2.
ラジカル重合(硬化);低分子材料に電子線照射し、低分子間を重合させて高機能化する。
応用例:高機能性フィルム、有色塗膜、化粧ボード、フローリング、航空機用材料
3.
グラフト重合(接ぎ木);高分子材料と低分子材料を重合させて、新機能を付与する。
応用例:イオン交換不織布、金属捕集材、PET繊維、水処理用吸着材、電池用セパレータ
4.
半導体応用;半導体材料に電子線照射欠陥を導入して、新機能を付与する。
応用例:パワー半導体、家電、産業機器
5.
殺菌、滅菌;電子照射により有害なウイルスや菌類のDNAを破壊して殺菌あるいは滅菌する。
応用例:医療用具、試験用検査機器、食品容器、不織布
6. 環境保全;排気設備あるいは排水設備のプラントに電子線照射装置を設置して、有害物質の除去を行う。
7. 放射線分解;通常の手法では分解の困難な物質に電子線照射を行い、元の材料の有用な性質を具備した微粒子などに加工する。
応用例:潤滑剤、添加材、バイオ燃料。
この講演を聞いたシンポジウムの参加者の皆さんは私達の生活に直結した製品の多くが電子線照射の恩恵に与っているかを理解出来たのではないかと思う。我国には放射線と聞くだけで毛嫌いする人が少なくないが、例えば車一つを取り上げても多くのパーツに電子線照射の技術が使われており、電子線照射無しでは、今日の高性能化は実現出来なかったであろうことが実感出来る。今回の講演の内容を出来るだけ多くの人々に理解してもらいたいものである。
7. 質量の起源ヒッグスを追う(会員ページ )
大阪大学大学院理学研究科 准教授 花垣 和則
例年、このシンポジウムでは一般の方々が関心を持っているような宇宙や考古学などの分野で時宜に応じたトピックスを取り上げ、専門家の方に出来るだけ平易に市民に分かりやすくご講演していただくことをお願いしてきた。
今回は最近のメディアに度々取り上げられてきた宇宙の起源に関わるヒッグスについて花垣講師にご講演をお願いした。平成23年の暮れ頃に研究者が長年探索を続けてきたヒッグスらしき信号が捉えられたとの発表が欧州原子核研究機構(通称:CERN)から出され、平成24年夏頃になってかなりの確率でヒッグスと考えられると公表された。花垣講師も度々同所で実験に従事されている。
物質の最小単位であると考えられた原子も内部に構成物を有することが明らかになり、それらを素粒子と呼ぶようになった。宇宙は137億年前にビッグバンと呼ばれる大爆発によって誕生したと考えられており、そこに存在していたのは素粒子のみで、しかもそれらは質量を有しておらず光速で運動していた。
特殊相対性理論では質量ゼロの物体は光速で運動するが、やがて素粒子同志反応により、クォーク3個から構成される陽子、中性子やクォーク偶数個からなるハドロンが出来たが、素粒子が質量を獲得しない限り理論的に現在の宇宙は存在し得ないので、宇宙の歴史のどかかの段階で質量を持つことになったはずである。ちなみに馴染みのある電子は素粒子の一つであるが、電子が質量を得たのはビッグバン後10-10秒という短時間だそうである。水素の原子核である陽子、ヘリウム原子核のα粒子はおよそ3分後には生成したが、以後はそれぞれがプラズマ状態で存在しており、それらが電子と結合して原子を形成する迄には38万年という長い年が必要であった。
この間は宇宙空間を伝播する光は電子との衝突により散乱されて直進出来ず、霧の中状態であったが、原子の形成(原子核と電子の束縛状態)により電子の密度が下がり光は直進できるようになり、見通しが良くなった。これを宇宙の晴れ上がりと呼んでいる。図10はCERNから提供されている宇宙の歴史図に事象を書き加えたものである。
図10 宇宙の歴史模式図(原図:CERN)
図11 二つの光子のエネルギーと運動量分布から求められた質量分布
(CERN ATLAS実験グループ提供)
さて、質量には日頃私達が体重測定で体感する重力質量の他に慣性質量がある。慣性質量はニュートン力学の講義で習う物体に力(f)を及ぼした際にその物体が如何なる加速度(a)を得るかという関係式 f=ma で出てくる係数mに相当する。これはいわば力に対する動き難さを与える指標である。宇宙論で議論する質量は慣性質量であるが、重力質量と慣性質量の間には等価性が成り立つ。力に関して私達に馴染みのあるのは物体間に働く万有引力と磁場中で働く電磁気力である。また、違和感のある言葉ではあるが、強い力と弱い力と呼ばれる原子核内で重要となる力がある。
CERNは世界最大規模の素粒子物理学の研究所である。スイスのジュネーブの西方のスイスとフランスの国境にまたがって、地下に建設された周長27kmの大型加速器を中心に、世界各国から集まった3000人程度の研究者が素粒子物理学の研究に従事している。私達が日頃から何気なく使用しているインターネットの言語であるHTMLやWorld Wide Webは当初CERNで研究している研究者同士の情報交換の手段として開発されたそうである。
本講演の主題であるヒッグスは質量とどう関わるのであろうか?前述のように素粒子が光速で運動しなくなったことは、動きにくくなったことを意味する。宇宙にはヒッグス場という場が存在していて、素粒子はヒッグス場の抵抗により速度が落ち、質量を得たという結果となる。素粒子とヒッグス場との相互作用の結果として生成するのが、ヒッグス粒子であり、今回はCERNのATLASという検出器でほぼヒッグス粒子によるとみられる信号が捉えられたということである。実験は8TeVという高エネルギーで光速近くまで加速した2個の陽子を互いに反対方向から衝突させ、その際に飛び出してくる多数の素粒子を検出することによって行われた。そこで新しく検出されたのが質量126.5GeVの相当する信号であり、解析の結果ヒッグス粒子である確率は非常に高い(図11)。この信号が偽である確率は0.0000000001しかないそうである。しかしながら、この実験の大変なところは、ヒッグス粒子の生成する確率は陽子・陽子衝突の40億回に1回の程度であり、さらに生成ヒッグス粒子はすぐに他の素粒子に変わってしまうことでまさに天文学的な回数の実験が必要であり、研究者達は結論を出すにはあくまでも慎重のようである。
宇宙の起源にまで遡って議論出来るような素粒子実験というのは非常に大型の加速器を必要とすることが良く分かった。しかし、偽物の信号を捉えた可能性を排除するために、更なる大変な再確認の実験が予定されていることなど、筆者のような物性の研究者からはちょっと想像もつかない。フロアからも様々な質問、意見が出て中身は難解ではあったが、大変良かったと思う。
(大嶋 記)