第39回放射線科学研究会聴講記
放射線科学研究会の一環として開催してきたエキゾチックビームシリーズも今回で第7回を数えることとなった。研究会は平成21年7月17日(金)13:30から17:30まで住友クラブ(大阪市西区江戸堀)で開催した。今回の講師は松尾直人氏(兵庫県立大学大学院)、矢板毅氏((独)日本原子力研究開発機構)、高山健氏(高エネルギー加速器研究機構)、籏野嘉彦氏((独)日本原子力研究開発機構)の4名の方々であった。
1.非晶質Si薄膜への軟X線照射による表面原子移動及び結晶化(会員ページ
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兵庫県立大学大学院工学研究科物質系工学専攻マテリアル・物性部門X線量子ダイナミックス
研究グループ 教授 松尾 直人
近年、多種多様なディスプレイが利用され、我々はその恩恵に与っている。特に目覚しいのは携帯電話をはじめとする小型の表示部品である。その多くには半導体薄膜が利用されているが、最近はガラス以外のプラスティックフィルム、繊維、紙などのフレキシブルな基盤へのデバイス作成が強く要求されるようになった。そのためには、成膜時やその後の処理に際して、基盤が耐えられる程度での低温プロセスが必要となる。TFT材料であるpoly-Si薄膜の品質は出発材料となる非晶質Si(a-Si)膜の特性に大きく影響される。それ故、a-Si膜の特性を改善すれば、poly-Si膜の特性も向上すると考えられる。松尾講師らの研究は基盤の温度上昇を抑制しつつ膜の改質を図る基礎研究として、スパッタで作成したa-Si薄膜に、SOR光やレーザ・プラズマ軟X線(LPX)を照射し、その後の処理の際に膜の構造変化に如何なる効果があるかを調べた。
講演では1.アンジュレータ光源から発生した軟X線照射による原子移動、2.軟X線放射光による結晶化、3.LPX照射がエキシマ・レーザ・アニール(ELA)によるa-Si薄膜の結晶化に及ぼす効果について紹介した。
試料としては厚さが1nmの極薄薄膜と50nm厚の薄膜をスパッタ法で作成し、照射に伴う効果を調査した。1nm厚試料はガラス基板上に積み、50nm厚試料はガラス基板上にまずSiO2膜を50nm積んだ上に、a-Si膜を作成した。軟X線は兵庫県のニュースバル放射光装置からの115eVおよび250eVのエネルギーを用いた。試料の評価は原子間力顕微鏡、電流-電圧測定ならびにラマン分光法により行った。
1nmと50nm厚のa-Si膜に115eVの軟X線照射した結果、照射量の増加に伴って、1nm厚の試料では表面上のSi原子が凝集し表面に薄いネッキングが生じた。一方、50nm厚の試料ではSi原子は殆ど移動せず、表面の凹凸も小さかった。1nm厚の試料の場合、照射の際の温度は440℃と見積もられ、50nm厚の試料では680℃と見積もられた。このことから1nm厚の場合には結晶化は起こらず、フォトンによる電子励起のみで原子の凝集が生じたと考えられ、50nm厚では温度が高いために電子励起によって原子移動が生じ、部分的な結晶化が起こったと結論できた。
さらにニュースバルを用いた軟X線放射光によるa-Siの結晶化を検討したところ、{111}優先組織の形成が認められ、これはphonon励起による核形成、粒成長によるものと考えられた。つぎにLPX照射による擬似結晶核形成、低エネルギーELAによる粒成長に伴う低温プロセス化の検討を行った。基本的なアイデアはLPX照射により、a-Si中に多数の結晶核を形成させ、それらをELAによって成長させようというものである。図1にLPXのみとLPX+ELA処理の場合のa-Siからの結晶成長の違いを示す。
図1 LPXのみ(左)とLPX+ELA処理(右)の場合のa-Siからの結晶成長の違い
結果は以下のようにまとめられた。@LPX照射効果により、結晶化臨界エネルギー密度を下げることが出来、50〜60mJ/cm2で、75〜85%の結晶化が得られた。これは80〜100mJ/cm2のELA照射だけの場合と同等である。ALPX照射後に赤外炉アニールを行った場合では結晶化閾値温度が1000℃から500℃へ降下した。また結晶粒径も大きく{111}単一配向となった。さらに、LPX照射により膜上部の屈折率、消衰係数が変化しており、2層構造となっていることが示唆された。これは非晶質表面近傍には擬似結晶核が形成されているとして説明できるが、詳細な形成機構はまだ解明されていない。
2.アクチノイドの化学結合特性の解明とイオン認識化合物の分子設計 〜高レベル廃液処理化学への新しいアプローチ〜(会員ページ
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日本原子力研究開発機構放射光重元素構造化学研究グループ
グループリーダー・研究主幹 矢板 毅
地球規模で温室効果ガスを抑制するために原子力発電が見直されているが、そのアキレス腱が高レベル放射性廃棄物の処理の問題である。我が国では高レベル廃棄物の中から長寿命α核種であるAm,Cmなどのアクチノイドを分離して、高速炉や加速器により核変換を起こさせて、毒性を低減化後に地層処分を行う計画が提案されている。核変換は高速炉や加速器によって発生させた中性子による核破砕反応を利用することが考えられているが、この核変換の際に、高レベル廃棄物中に含まれる、ランタノイドが妨害元素となることが知られている。ランタノイドは高レベル廃棄物中にアクチノイドの数十倍程度含まれ、しかも中性子捕獲断面積も大きいことが、核変換の妨げとなる。そのため、効率的な核変換を行おうとすると、適切な前処理の実施が不可欠である。しかしながら、ランタノイドとアクチノイドはその化学的性質が極めて類似しているために、既存の分離法では困難と考えられており、新しい分離概念確立が必要となっている。
矢板講師らはアクチノイド及びランタノイドの化学的特性に着眼して、個々のイオンを認識する化合物の創製を試みており、その内容について紹介を頂いた。
アクチノイド元素は閉殻の6s、6p軌道の内側の5f軌道を順次詰めていく構造(内遷移型)をとり、一方ランタノイドは閉殻の内側の4f軌道を電子が詰めていく構造であり、アクチノイドとランタノイドが同じ原子価を有する場合にはその化学的挙動が類似していることが知られている。講師らは放射光を用いたEXAFS法により、3価アクチノイド及びランタノイドの水和原子間距離と原子番号との関係を調べ、アクチノイド、ランタノイド共に水和原子間距離から酸素のイオン半径を引いたものが、それらのイオン半径であると見積もることが出来た。アクチノイド、ランタノイド共に原子番号依存性は類似の挙動をとり、酸素のような強い相互作用を示すものに対しては、強いアクセプターとして分類できる。ただし、アクチノイドの場合には重元素になると相対論的効果のために、軌道半径の外への広がりやスピン軌道相互作用により、電子状態はランタノイドよりは複雑になっている。また、近年ある種の化合物中の窒素や硫黄がPu以降のAmやCmにおいても選択的な相互作用を示すことが見出され、これを利用することが図られるようになっている。しかしながら、その相互作用の具体的なイメージが明らかにされていないので、講師らはX線吸収および発光分光法によりその解明を試みた。試料としては、3価アクチノイドとランタノイドとの分離係数の大きい1,10-フェナントロリン(Phen)を用い、アクチノイドとしてCm,ランタノイドとしてはGdの錯体について検討した。
実験は米国ローレンスバークレイ国立研究所放射光施設にて行った。その結果、Gd-Phen錯体では、軌道の形が変わるような共有結合の相互作用は存在しないのに対して、Cm-Phen錯体では明らかな変化が観察され、Phen窒素からCmへの電子供与に加えてCmからの逆供与現象があるとして説明できる。
これまでのアクチノイドとランタノイドの分離系開発の研究では、分離係数を追及する場合が多かったが、分離係数が大きくても絶対的な分離能に乏しいものや、高レベル廃棄物処理は酸性のもとで実施する必要があるのにアルカリ溶液側で性能が出るものなどその開発は困難であった。
講師らはこの課題を解決するために、2つの異なる性質の結合サイトを有する化合物(ハイブリッド化合物)の創製を検討してきた。そのためにアクチノイドに対するものとして酸素ドナー及びアクチノイドとランタノイドを識別するものとして窒素ドナーを共存させるという基本戦略のもとに、分子設計を行った。窒素に関してはPhen誘導体をターゲットとして研究を進め、酸素ドナーとして種々の観点からアミドを採用することとして、図2のようなフェナントロリンアミド(PTA)を基本骨格とした。最終的には溶媒溶解性および耐放射線性の強化のためにR1、R2に導入する置換基の候補を絞り、作成したPTAは世界最高レベルの性能を有することが確認できた。
講演のなかでも触れられ、また会場からの質問にもあったが、SPring-8という世界に誇る立派な施設を日本は持ちながら、放射性物質を試料とする研究を遂行するには様々な制約があり、今回ご講演いただいたような実験を行うには海外まで出かけていかざるを得ないとのことで、極めて残念なことである。
図2 新規に設計・提案された分子構造
3.誘導加速方式を用いたKEKデジタル加速器の開発と物質・生命科学への応用(会員ページ )
高エネルギー加速器研究機構
加速器研究施設 教授 高山 健
加速器は核物理・素粒子物理の分野のみならず、現在では原子・分子・物性科学、材料開発、バイオ・医学応用などの幅広い分野で利用されている。サイクロトロン、シンクロトロンのような円形加速器が高エネルギーの粒子を得るために開発され、実用化されてきたが、高山講師らは水素からウランのような広範囲のイオンを1台の加速器から取り出せるような新方式の加速器の構築を目指して、誘導加速方式の新しいデジタル加速器の開発を進めている。
従来型のシンクロトロンなど円形加速器の場合は荷電粒子の加速は加速空洞に高周波電圧を定在波として励起することにより行ってきた。高周波電圧は時間の三角関数で変動するので、時間軸上で変化する電圧は荷電粒子をバンチとして進行方向に閉じ込めて加速する役割をも果している。しかしながら高周波を利用するために、@加速周波数の有限な可変幅、A限定された加速可能な位相域、B非一様な荷電粒子ビームの線電流密度という制約があった。そのために加速されるイオンの質量数や電価数比が限定され、かつ一定速度以上の荷電粒子の入射が要求されるために、Linac、Boosterの入射器を付帯設備として必要であった。
それに対して誘導加速シンクロトロンでは誘導加速セルに発生する高圧誘導パルスを使用し、2種類の加速セルを「加速」と「閉じ込め」用に使い分けることにより、ビームハンドリングの自由度を大幅に改善できる。誘導加速セルを駆動する電源はコンデンサーと高速スイッチング素子からなるスイッチング電源で、スイッチング素子のトリガー信号は加速器リングの軌道上においたバンチモニターから得られるバンチの通過信号をデジタル処理してスイッチを動作させる。イオンの周回に合わせて毎回パルス電圧を誘導加速セル上に発生させる。この方式により加速途上の非相対論的速度から相対論的速度までの粒子速度の変動に対応する自動同期加速を保証できた。さらに原理的には大型の入射器を必要とせずに相対論的速度までイオンを加速できることも示唆される。図3に従来型および誘導型シンクロトロンの比較を示す。
講演では、従来型の加速器から誘導加速シンクロトロンの開発までの道筋を丁寧に説明された後、現在KEKにある装置を利用してどのような研究が行われ、また将来どのような分野での応用が期待できるかを示された。KEKでは平成15年度から実機使用レベルまでに達した誘導加速システムを導入し、KEKの12GeV陽子シンクロトロンを用いて誘導加速シンクロトロンの実証試験を開始した。平成16年には上流の500MeVブースターから入射した陽子バンチを8GeVまで誘導加速することに成功し、その後誘導加速システムを増強後には「閉じ込め」「加速」を全て提案通りのステップで行える誘導加速シンクロトロンの完全実証が平成18年3月に達成された。その後は平成20年度から新たにKEKの既存の500MeVブースターシンクロトロンを入射器に用いない誘導加速シンクロトロン(デジタル加速器と称す)へ改装する作業が進められているそうである。これが完成すると多様なイオンの供給が可能となり、以下のような応用が期待され、すでに大阪府立大学も含み国内外の多くの大学と下記のような分野で多様な共同研究がスタートしているとのことである。
(1)新機能性材料探索、(2)惑星科学、(3)育種事業、(4)宇宙進化生命学
また、近年国民の関心の極めて高いガン粒子線治療についても次世代ガン治療ハドロンドライバー(陽子、炭素及びその他の重イオンを加速出来る加速器)としての可能性がある。特に入射器を必要としないことは、それに関わるトラブルが排除されることを意味し、稼働率の高い治療施設となることが期待される。高山講師はこのような治療分野での展望についても、時間を割いて説明されたが、我が国の医療分野における認可基準の高い壁が、技術的要素以外に産業界の士気をそぐ要因としてあるという指摘は医薬品の分野においてもしばしば耳にする課題である。
4.放射線と物質との相互作用
−基礎研究の現状とその応用・社会との接点−(会員ページ )
日本原子力研究開発機構
先端基礎研究センター・センター長 籏野 嘉彦
籏野講師は放射線科学の分野で著名であり、特に放射線化学の大家として、国際的に高い評価を得ておられる。今回は、籏野講師のこれまでの研究分野の中から放射線科学研究の分野に足を踏み入れて間もない若い学生達をも念頭において、標記のような演題で講演していただいた。
籏野講師と長年御交友のあった井口道生博士(米国アルゴンヌ国立研究所)が最近急逝されたこともあり、講演の冒頭にまず井口博士との共同研究のお話になった。井口博士はこれまでも何度か大阪府立大学を訪問され、学生達に大変有意義なご講演をしていただき、筆者も何度か拝聴する機会を得ていたので、亡くなられたとのニュースは信じがたいものであった。井口先生にもONSAの研究会かシンポジウムでご講演をお願いする段取りを進めていた矢先であり、協会としても大変残念に思っている。
IAEA(国際原子力機関)では、21世紀を迎えるにあたって、レントゲン及びキュリーらによる放射線発見以降およそ100年にわたる放射線作用に関する基礎研究をまとめるためのプロジェクト「放射線治療および放射線研究のために必要な原子・分子データ」を1985年から10年間にわたって実施した。この時の責任者が井口博士であり、この中に医療を含めたたことは最近の放射線治療の趨勢をみると先見の明があったといえる。この報告書は内部報告書として発刊された。そのため、学術ならびに一般社会への流通が悪かったので、その後本としての出版計画が検討され、Mozumder博士と籏野講師の編集により“Charged Particle and
Photon Interactions with Matter -Chemical, Physicochemical, and Biological
Consequences with Applications-”が、2004年に発刊された。この本に関しては今後の展望や新しい分野なども含めた続編の出版作業が進められていて、2010年に発刊予定とのことである。
講演ではこれまでの放射線科学の研究の概観に加えて籏野講師が専門に研究されてきた原子・分子と放射線との相互作用の中でも超励起状態に関する話題を取り上げられた。この研究は1970年頃から始まり今に至るまで放射光実験施設の整備などとも関係して活発に行われている。超励起状態とは、分子に放射線が照射されても解離やイオン化せずに分子のままでエネルギーの高い状態(励起状態)をとることである。強調されたのは光と分子の相互作用による分子の活性化に関しては未だ原子番号(Z)の数%程度のみが既知であり、残りの90数%は未知であるとのことである。このような重要な課題が残されているのは実験上の難点(光源、窓材質、極紫外分光技術と真空技術)に加えて問題意識の欠如があることを指摘した。
籏野講師らは1986年頃からH2**二電子励起状態のポテンシャル曲線及び解離断面積を初めて測定し、量子化学への新しいインパクトとなった。以来多くの分子について新実験法・分光法による放射光実験が展開され、多大な成果が得られたとのことであり、その成果は著書“Intearction of Vacuum Ultraviolet Photons with Molecules. Formation
and Dissociation Dynamics of Molecular Superexcited State”(1999)にまとめられている。前出の2004年の著書とともに、関係者は是非ご覧いただきたいとのことである。
今回の研究会では、講演テーマが多岐にわたり、また講師の先生方に学生にも理解できるような講演をお願いしたこともあって、多数の若い方の参加があり、また多くの質問があり、有意義な研究会になったと喜んでいる。今後も若い人々が積極的に参加できるような研究会を志したいと考えているので、会員諸兄におかれましても、ご意見やご要望をお寄せいただきたいと考えている。
第7回となる今回のエキゾチックビームシリーズでも、様々なビーム利用の講演を取り上げることが出来た。これは岩瀬委員長はじめ企画部会の委員の方々のお陰である。また、交流会ではすべての講師の方に残っていただき、多くの方にご参加頂き、有意義な交流の場をもつことが出来たことを主催者として感謝したい。
(大嶋記)