4 学校における理科教育・放射線教育の重要性、現状と問題点 |
国民全体の「サイエンス・リテラシー」,特に「ラジエーション・リテラシー」の必要性が痛感される.それは,(1)科学技術立国を国是とするわが国の将来の人材の確保と,(2)近代社会に生きる市民として,原子力・放射線など先端科学技術に関連する社会的問題について意見を表明する必要があるとき公正な判断力が要求されるが,その際の素養として原子力・放射線などの基礎的科学知識が必要であるからである。 このことの達成には,社会と学校との両方で進めて行かなければならない。社会教育では放送や新聞などのマスコミの力に大きく頼らねぱならないが,社会教育の基礎は学校教育であり,学校で正しい教育がされれば,それはひとりでに家庭を通じて社会に広がって行くので,学校教育の在り方は極めて重要である。 4.1最近の理科教育・放射線教育の問題点 これまでの日本の学校教育は,文部省の主導により,国民全体の識字率(リテラシー)を世界のトップレベルにすることに貢献したが,教育内容は画一的であることが目指されてきた。その結果は,生徒の知識習得度の偏差ががほかの国にくらべて非常に少ないことに特徴がある。また数学や理科については,1970年代〜1980年代のはじめごろまでは,中学の生徒の学力を国際的に比較したとき日本は1〜2位の位置にあった。ところが90年代になってからはこれが3位に低下していることがわかり(39),また,科学技術に関する市民の理解度をOECD諸国間で比較すると,日本は14ケ国中下から2番目というように非常に低いことが判明して(40),これも教育関係者の間で大きな問題となっている。 原子力関係の知識の習得度についてヨーロッパ7ケ国と日本とを比較した結果でも,日本の生徒は一応の科学的知識があるにもかかわらず,原子力の関しての知識が極端に低いという結果となっている(41)。現在は学校での放射線・原子力についての教育が不十分であるのがこの理由であることは明白である すでに理科教育全般について,その授業時間が1965年代には小・中・高校平均して週12時間あったものがこの30年間に徐々に減って最近は週7時間に減少している。ところが,科学技術の進歩とともにどの分野でも内容が高度なものになっていき,それぞれの分野の専門家は自分の領域の重要性を主張して教育内容が増えていく傾向があるので,到底限られた時間で全部が収まらず,以前は物理や化学のような基礎的科目は必修科目として全員が履修していたのが,現在の「学習指導要領」(4)では理科の諸科目(物理・化学・地学・生物)はすべて平等に扱われて,これらに「総合理科」を加えた5分野のうち2分野から2科目を履修するという制度になっている。さらに入試制度のこともあり,科学技術の基礎となるべき物理のような科目を履修しなくても理科を履修したことになって大学に進学できる制度は大きな問題である。さらに困ったことに,入試制度の影響もあり,難しいと考えられている物理は敬遠されてこれを選択する生徒が減っているのが現状である。ところが,原子力や放射線に関する事項は,現在は理科の中でも殆ど物理だけでしか教えなくてもよいことになっているので,理工科系に進む学生でも物理を選択した生徒だけしかこの分野の知識を学べないことになっている。 4.2「学習指導要領」について 日本の学校教育は,文部省の「学習指導要領」によって,学校で教えるべき内容が強く規制されている。学習指導要領は,「すくなくともこれだけの内容をこのように取り扱って教えるべきであるが,これ以上のことは教えなくてもよいというレベルについて,比較的細かく規定しているものである。高等学校の学習指導要領に記載外の項目は大学入試問題に出すことは望ましくないとされているので,ここで教えなくてもよいとされている事項については,当然ながら生徒の習得度が低い。「科学技術立国」を国是とするわが国でありながら,理科の授業時間数がこの数十年間減少の一途をたどるなど,理科教育全般が軽視されてきたといわざるを得ない中でも,とりわけ原子力・放射線関係の教育は,現行の学習指導要領において片隅においやられ,正当な位置づけが与えられていない。原子力教育・放射線教育・理科教育を含めて,日本の教育全体を改善するには学習指導要領の改正が必要である(5)。 われわれ『放射線教育フォーラム』は,放射線・原子力問題の正しい理解のために,現行(平成元年3月制定)の学習指導要領の改正を文部省に要望した(42)。要望の内容は省略するが,その結果,新しい学習指導要領(平成11年3月制定、平成15年4月実施)(43)では,次のように改正が行なわれることになった。 すなわち,理科では,「理科基礎」,「理科総合A」,「理科総合B」という3つの科目が従来の「総合理科」に代わって作られ,これらから1科目以上は必修科目ということになった。そして「理科基礎」ではエネルギー環境問題が,「理科総合A」では「エネルギー資源の利用」の内容の取り扱いで,「原子力に関連して,天然放射性同位体の存在や,α線,β線,γ線の性質にも触れること」と明記された。また「物理II」では「放射線及び原子力の利用とその安全性にも触れること」というふうに放射能の代わりに放射線の用語が使用されることになった。なおまた,新たに『総合的な学習の時間』が(これは平成12年度から実施)できて,ここでは,理科と社会を融合したようなカリキュラムを作って科学技術と人間生活との関連を有効に教えることができることになった。これは,教育方針の進歩として評価すべきものと考えている。 4.3 教科書における原子力・放射線関係の記述について 4.3.1 従来の教科書 筆者は数年前から,理科を含むあらゆる科目の教科書について,原子力・放射線関係の事柄がどのように記述されているかについて調査した(44・45・46・5)。調査した教科書は旧制度の「理科I」,「物理」,「化学」と1994年度から使用されている新しい理科の教科書である「物理IA」,「物理IB」,「化学IA」,「化学IB」,「生物IA」,「生物IB」,「地学IA」,「地学IB」,「総合理科」,「物理II」,「化学II」,「地学II」,さらに理科以外のものとして「現代社会」,「政治経済」,「地理A」,「地理B」,「世界史」,「保健体育」、以上理科179冊,理科以外67冊,合計276冊である。これらの教科書における原子力の扱いの実情を要約すると,次のようになる。 (1)一般に原子力・放射線関係の取り扱いは不充分である, (2)理科の教科書においてさえ記述に科学的に不正確な個所がある,また,放射線の利用,とくに医学的利用に関する記述が貧弱である (45・46), (3)社会系の教科書では,原子力に関しては「資源・エネルギー問題」,「環境と人間生活」,「自然に敵対する科学技術」,「現代世界の課題と国際協力」,「地球的課題の出現」といったような大見出しの章節で多くの教科書に記述されている。そして,エネルギー供給における原子力の役割をみとめてはいるが,一般的に原発の事故を過大に取り上げて,原子力の安全性に問題があるとして原子力の推進に懐疑的ないし否定的なニュアンスの論調が少なくない(47)。そしてこれらの社会系の教科書では,原子力がほかのエネルギー資源と比較して,必ずしも公平に取り扱われていないものが見受けられる。原子力の平和利用の一つである放射線利用については,全くふれられていない。というような問題点があることがわかった。 4.3.2 最近の教科書 最近になって(平成9年,10年)に発行された理科(「物理1A」など),公民(「一般社会」「政治・経済」),地理(「地理A」「地理B」)などの教科書約50冊を調査した(48)。その結果, 〈1〉一般に以前より改善されている。 〈2〉理科,とくに物理の教科書ではかなり満足すべきものになってきている。とくに「物理1A」では,原子核エネルギーのこと,放射線の単位,放射線が天然に存在すること,放射線の人体への影響,放射線の利用のことが,かなり詳しく記述され,その内容の適切さも以前に比べると格段に進歩がある 〈3〉理科以外の科目でも少しずつ妥当な記述の割合がふえており,原子力についての記述の論調は,批判的なものでも極端なものは影をひそめて以前よりは論調が多少穏やかになっている傾向がある。しかし,発行年月が新しくなっていても,記述が以前と全く変わっていないものも少なくない。そして,原子力に限ってその安全性に問題があるとする論調は依然強い。調査した約40冊の教科書のうち半数がチェルノブイリ事故について,そのうち約半数は写真(あるいは放射能汚染が起こった地図)入りでj比較的軽くふれているものから,誇張を交えて数十行にわたり書かれているものまで,いろいろである。 社会系の教科書でこれは困る,少なくともこれでは問題であるという記述の例は,例えば,○「原子力発電の問題点」として,原子力発電は,…化学反応に比べれば桁違いに大きなエネルギーが放出されます。しかし,そのさい同時に危険な放射能も生み出されるため,…安全性の確保が大きな問題となります。……チェルノプイリ原子力発電所の爆発事故のようなことがおこれば,かなり広範囲にわたって深刻な放射能汚染が生じることはいうまでもありません。さらに,まったく事故がない正常な運転時においても,危険な放射性廃棄物がどんどん蓄積されてしまうという問題があります。放射性廃棄物は,処理技術が未確立のまま増えつづけているため,将来,その半永久的管理・貯蔵を,子孫におしつける結果になることも考えられます。寿命のつきた原子炉は,著しく放射能汚染されており,それをどう処分するかも大きな問題となっています。……その他,原子力発電所で働く入たちの放射線被曝量が大きいこと,核燃料輸送中の事故や核ジャックの危険性があること,原子力関連施設に対する軍事攻撃をうけた場合,通常兵器によるものでも核戦争なみの放射能被害が生じること,コスト面において石炭・石油に対して必ずしも有利ではなくなってきていることなど,原子力発電はいくつかの難題をかかえています。」(Y出版,「現代社会」,1998.3月発行) ○「原発事故は,小さなミスが大惨事につながりかねない。そしてひとたび事故が起こると,広範囲かつ長期間にわたって深刻な被害をもたらすことがあるなど,その危険性はきわめて大きい」(T社、「政治・経済」「現代社会」、平成10年1月発行) ○「原子力発電は,・……大量のエネルギーを安定的に比較的安く供給できる利点があり,火力発電が温室効果や大気汚染源になるため,原子力発電に積極的な国もある。資源の少ない日本では,原子力発電所の建設に力を入れており・……発電量ではアメリカ・フランスについで世界第3位である。……ところが原子力発電は,人体に危険な放射能を大量に発生させるウランの核エネルギーを使用しているため,安全性の管理が問題となる。事実,1986年には,ソ連のチェルノブイリ原子力発電所で大事故が発生し,多数の死傷者を出し,放射能を世界中に飛散させた。また,1979年のアメリカのスリーマイル島事故でも,周辺地域に放射能被害をもたらした。日本の発電所でも,放射能廃液もれなどの事故が発生している。……とくにチェルノブイリ原発事故をきっかけに,原子力発電所に反対する世論や運動が,日本や欧米諸国で急速に広まっている。スウェーデンでは原子力発電所の廃棄を決める法案が議会で可決され,アメリカのカリフォルニア州では,住民投票で原子力発電所の一部が解体されることになった。……日本の原子力発電所では,安全運転のための努力がなされているが,放射性廃棄物の処理の問題,温排水による熱汚染の問題など,解決しなければならない課題も多い。・……」(S出版、「精解現代社会」,平成10年1月発行)「原子力発電にはさまざまな問題が残されており,燃料となるウラン鉱も有限で,その分布は偏っている。」(D社、「現代社会」、平成10年2月発行)などである。 4.3.3 適切な教科書の記述の例 いっぽう適切な記述も割合は少ないが増えつつある。とくに最近発行されたものにその例が多い。例えば,(理科では) ○「放射能と人間」の項目で1ページにわたり,放射線の種々の利用がもちろん医学への利用を含めて紹介されており,また「放射線の人体への影響」で,「大量の放射線を浴びると,脱毛などの急性の放射線障害を起こし,ひどい場合は死に至る。また,急性障害が起こらない量の放射線でも,後になっての癌や遺伝障害が,浴びた量に応じてわずかに増えると考えられている。ただ,人間の遺伝障害と微量な放射線の影響はまだ確認されていない。」そして「放射線を浴びる量」という題で自然放射線と人工放射線の両方についてシーベルトの単位で8桁にわたって定量的に対比された適切な表があり,「微量な放射線は自然にも存在し,私たちの体の中にもわずかだが放射性物質がある」との説明がある。(「K館,「物理1A」,平成9年3月発行) ○「原子力発電の安全性」という小項目で「原子力発電には,放射線もれ事故の防止や放射性廃棄物の処理という課題がある。課題がある。最近の原子炉には,特別に操作しなくても核分裂の急激な増加を自ら抑制する機能がある。しかしそれだけでなく,炉の緊急停止装置,非常用炉心冷却装置,炉をおおう格納施設などの安全装置を設けている。また,核燃料と外気の間は大きくわけると五層の防壁でさぎられており,非常時の放射線漏れ事故に備えている。このように,綿密な安全対策がとられているが,原子力に間する技術は人類にとって未経験な面があり,十分な研究と慎重な運用が求められている。」(J出版,「高校物理1A」,平成!O年1月発行) (社会系では) ○「原子力発電をめぐる問題 石油代替エネルギーのなかでも,原子力発電は,供給の安定性,技術の開発度などの点で,他の研究途上のものに比べすぐれている。しかし,原子力発電は,放射性物質を扱うことから,ほかのエネルギー源にはない危険性をあわせもっておりまずその安全性を確保することがなによりも優先されなければならない。また,放射性廃棄物をどのように処理処分していくかも,きわめて重要な課題である。そのために,開発に関しては数多くの法律や規制があり,発電用原子炉には,放射能が周囲にもれる事故が起きないよう,種々の安全装置が設けられている。 1986年のチェルノプイリ原子力発電所の事故は,原子炉の安全管理の不備が大きな災害をもたらすことを世界に示した。(添付された図には日本の原子力発電の将来(通産省資料)があり,2000年までの電力供給目標が各エネルギー源ごとに表になっており,「21世紀には原子力発電が中心になっている」と説明がある)」(T書籍,「改訂現代社会」,平成3年2月発行) ○「原子力発電とその課題 ……電力需要が増大するにつれ,建設コストが高く,適地の少なくなった水力発電の開発は限界に近づき,一方,火力発電もエネルギー源が有限な資源であり,輸入に頼るために供給と価格が不安定で,大気汚染も問題となっている。そのため近年,原子力発電への依存が高まってきている。 現在,日本の原子力発電量は,アメリカ,フランスに次いで世界第3位で,日本の総発電量の3割近くを占めるまでになっている。原子力発電は,原料のウランの核分裂から得られる熱で水蒸気をつくり,その圧力でタービンを回して発電するもので,石油・石炭などを原料にする火力発電に比べて,ごく少量の原料で大きなエネルギーを生み出す。 しかし,課題も山積みしている。ひとつには,チェルノプイリ原子力発電所事故に代表される発電の過程における放射能漏れなどの問題,二つ目には,発電で生じる低レベル放射性廃棄物の安全な管理・保管の問題がある。さらに,使用済み核燃料のなかでも再利用できるプルトニウムと燃え残りのウランを取り出す再処理の際に発生する高レベル廃棄物の問題もある。 電力の需要が増大している今日,原子力発電による電力の供給が不可欠な一方で,このような課題の解決に向けて努力していく必要がある。(脚注に、@チェルノブイリ原子力発電所事故,A放射性廃棄物,Bプルトニウムについての適切な説明あり。)」(第一学習社,「現代社会」,平成10年2月発行) ○「「石油危機」以後,世界的に原子力発電が重視され,すでに世界の総発電量の約20%弱を占め,日本でも30%近くに達している(1993年)。核燃料サイクルの確立によって資源の再利用か可能なこと,核燃料の長期確保によって紛争による供給不安を回避できること,二酸化炭素を放出しないことを理由に,フランス,日本,韓国では強力に推進している。他方,重大な原子炉事故など安全性への不安,使用済み核燃料や核廃棄物処理技術が十分に確立されていないこと,経済性に疑問があること,などの理由からアメリカやドイツでは,原子力発電を抑制する傾向を強めている。」(T書籍,「地理B」,平成10年2月発行)などである。 4.3.4 教科書に対する要望と,記述の不正確,不的確な箇所を如何に改善するか 本来ならば,理科の教科書では純粋に科学的な事柄が正確に客観的に記述され,また理科以外の教科書では,偏らない公正な価値観をもって,そして学校教育の教科書である以上国家の政策を適宜取り入れつつ,青少年の正義感や社会への貢献への意欲を呼び起こすように記述がされておらねばならない。しかし,科学技術が進歩し,それと環境や人間生活とが複雑にかつ密接に関連している現代の社会では,公正な価値観あるいは正しい判断力にはかなり正確な科学的知識を必要とすることになる。従って,教科書執筆者が正しい科学的知識を持っていない場合は,どうしても不正確・不適切な記述が生まれる。 教科書の現状を改善するためには,われわれ専門家が,教科書の著者・出版者・文部省の教科書検定宿に正しい知識や最近の情報を与え,誤った,あるいは不的確な記述については,現状を放置せず,注意して記述を改善してもらう努力をすることが必要である。また、大局的に妥当な考え方適切な記述のものについては、細かくみれぱ多少の不正確さに気がついても,積極的な評価を著者らに伝えることが望ま しいと思う。 |