平成13年度「みんなのくらしと放射線」展、ミニセミナーより

「雪は天からの手紙である」

     東京大学名誉教授 有馬朗人

坊やたちがいなくなっちゃいましたね。聴衆によってどんな話でもする準備がある訳ですが、それでは今日は寺田寅彦先生のことと中谷宇吉郎先生の「雪は天からの手紙である」と言う話をします。

寺田寅彦先生はすばらしく頭の良い人で、どんどんと新しい発想が生まれる。ガソリンを水に浮かべると'しましま'が出来る。その原因は何か。金平糖の角はどうして出来るか。フラクタル、カオスなどの概念に近い、今でも新しい考えがすでにそのころに発想されていたのですね。中でもエックス線の研究は最高で、それで学士院賞と恩賜賞を受けられた。ただ、何を始めても、おもしろいデータが出始めるとすぐに放り出してしまわれる。それが天才、多才の人なんでしょうか。その点が勿体ないというか、わたしには残念でならないのです。喧嘩相手のブラッグがノーベル賞を貰ったのだから、あのまま研究を続けていればノーベル賞を貰ったかも知れません。まあ、恩賜賞をもらわれたのだからいいのでしょう。そのX線の研究は先生のお友達のお弟子さんで西川先生と言う方が引き継いで日本のX線による結晶学の大家となられています。そういう流れは作られたのですがね。わたしの『寺田寅彦』という本がそのうちに出ますから買って下さい。

寺田先生のお弟子さんのひとりに平田森三先生という方がおられます。わたしは平田先生の講義を受け、個人的にもとても親しくさせて頂いたので、寺田先生の孫弟子だと思っているのですが、平田先生もやはり変わり者というか、キリンやシマウマの縞は胎内で育つときの皮膚の割れ目として出来るとか、空気の揺らぎが原因で出来るなどと言うことを発表されている。ある時、捕鯨協会から銛の研究を頼まれた。銛の先をいくらシャープにしてもどうもうまく刺さってくれないと言うのです。先生は毎日毎日中庭で、ぼーん、ぼーんと鉄砲で銛を発射して研究された結果、先を平たく切り落とした方が良く刺さって抜けないことを見つけられた。これは平頭といわれています。それがきっかけで、その後、鯨の年齢を耳垢から推定する方法を見つけられたりしたのですが、先生の研究の基本には正確な科学と対置して、正確でない科学をどう進めるのかの考え方があり、統計現象学につながっているのです。

次に「雪は天からの手紙である」という話をします。平田先生の兄弟弟子に、みなさんもよくご存じの中谷宇吉郎先生がおられる。この方は寺田先生と同じように随筆も書かれましたが、寺田先生と違って、何より一つのことをこつこつとされる人でした。雪は美しい氷の結晶ですが、実にさまざまな形があります。そのことに注目して、人工の雪を作る装置の作成に成功され、雪の出来方についていろいろ研究されたのです。

上空の水蒸気が冷たい気温の中で凝集すると霧や雲になるのですが、気温が0℃以下なら同時に氷結します。それが雪ですね。ただ、0℃で教科書通り直ちに氷が出来ると言うのは嘘でしてね。実際には核になる塵などがあって、さらに何かショックがないとなかなか氷にならないので、気温が0℃以下になっても、しばらくは過冷却の状態が続きます。そのような状態から何らかの原因で突然、凝集して氷結が始まり雪になるのですが、中谷先生はその時の温度によって出来る結晶の形が変わることを見つけられたのです。木の葉の形は−16℃で出来るとか、角板型はもっと低温で出来るなどと言うことですね。雪になる温度を横軸、蒸気の出来る水の温度を縦軸に目盛った図の上に、そのような結晶の形を沢山プロットしたものが中谷ダイヤグラムといわれるものです。実際に降って来た雪の結晶の形をその図と見較べれば、上空の温度が一目で分かる訳で、そこから「雪は天からの手紙である」と言うことばが出て来るのですね。中谷先生はその後、凍土や飛行機に付く氷の研究など、こつこつとそして徹底して雪や氷の研究をされ、中谷といえば雪と氷と言うまでになられたのです。

どうして今、中谷先生かということですが、丁度去年、生誕100年と言うこともあったのですが、実は今日の話に出て来た寺田、平田、中谷の三人の先生は、いずれも物理学の世界ではあえて言えばアウトローの人たちなのです。正統派は湯川、朝永、仁科、菊池(正士)といった分子、原子から原子核、素粒子への流れで、わたしもその一人ですが、21世紀はそういうExact Scienceではなく、より日常的な、正確でない科学、方程式も立たない複雑多様な系の科学が必要な時代だと思ってこのようなお話をしました。

今まさに生物科学が主流の時代に入りつつありますが、生物科学にせよ、技術にせよ、また他のさまざまな科学にせよ、科学者は面白ければどんな研究でもやっちゃいます。しかし、決して人類に悪い影響を与えてはいけないのであって、このことについてわたしは最後に中谷先生の二つの随筆からの言葉をお伝えしたいと思います。それは“原子爆弾夜話”の中から「科学は人類に幸福をもたらさないとの言葉がますますはっきりと浮かび上がって来そうな気配があるが、本来は自然がその奥深く秘めた神秘への人間の憧憬が科学の心である」、“茶わんの直線”の中から「科学の成果が人を殺戮すれば、それは政治ではなく、科学の責任であると思う。作らなければ決して使えなかったからである」で、これらの言葉を使ってわたしは、私たち科学者よ、技術者よ、研究の成果が絶対に人類の殺戮に使われることの無いように努力して行こうではありませんか、とのメッセージを伝えて話を終わりたいと思います。

 

(質問余話)

質問者:

お話の中で平田先生と賭をして有馬先生が勝たれたというくだりがありました。お差し支えなければ、それについて話していただけませんか。

有馬先生:

わたしは日頃から原子核が振動するところを自分の目で見たいと思っていましたが、ある時、ストーブの上にこぼしたコーヒーの滴が回るのを見て、これだとおもったのですね。それでいろいろ試したのですが、余り良い結果が得られない中に、ある人から逆転の発想で、液体窒素を使う考えが出て来ました。そこで凹レンズの上にスプーン一杯の液体窒素を置くと実にきれいに形が変化する有様が見えたのです。それを「自然」誌のカメラマンの菊池さんが写真を撮ってくれたのですが、目で見たのと写真に撮れた姿が全然違うと言うんですね。目で見て八角形だと思っていたら、写真では四角形だったりするのです。何故か。わたしはそれは振動しているからだと言ったのですが、平田先生は中に爆発する要因があって金平糖のようにあちこちに角が出るのだと言う意見でした。そこでどちらが正しいかの賭をしたと言うわけです。この賭は茅先生など、大勢の大先生の前でやったので証人が沢山います。

答えは一秒間に4000枚撮れる高速カメラで証明されました。それでものの見事に振動の様子が見えたのですね。この賭では負けた方が銀座に招待することになっていたのですが、その時、平田先生はすでにご病気で、病院からヘネシーのコニャックが送られて来ました。先生はその後すぐに亡くなられ、遺言のようになったそのブランデーは勿体ないのでそのまま取ってあります。

(文責 S.F.)